第51回毎日農業記録賞《一般部門》 最優秀賞


農に夢を求め続けて

伊藤嘉子(89)=山形県尾花沢市、農業

 大冷害の1934年、8人きょうだいの6番目に生まれた。蚕の中で育った。経営は母が中心で、家族ぐるみで切り抜けた。50年に新制高校に進学。母は大反対だったが、学びの夢は消えなかった。高校卒業後に母校の小学校の代用教員になり9年間教壇に立った。教え子との交流は今も続く。兼業農家に嫁ぎ、養蚕中心の専業農家として生きるという夢を夫と描いた。「人から頼まれる人になれ」という義父の言葉を背に、汗でぬれネズミのような桑運びの連続だったが、養蚕の全国大会で2度発表し、村づくりの大切さも学んだ。夫たちの出稼ぎをなくそうという思いで、冬の漬物加工を市に提案。「若妻漬物研究グループ」を結成。草分けとなる農産物加工センターの建設につなげた。地元の婦人防災協力班や農協婦人部の活動などに加わり、95年の第4回世界女性会議(中国・北京)に参加した。88年からは林間学校の生徒を受け入れ、農業体験実習館などの施設整備にもつながった。「生涯現役で農に生きたい」

稲穂の誓い

黒崎浩史(48)=宇都宮市、農業

 就農前は施工管理技士として6年間現場監督を務め、不況で自衛隊に転職した。青色申告の講習会に参加したことがきっかけで、農業が生業に変わった。全てが数字で示される「帳簿」は明快だ。稲作では作況が平年並みでも経費は大きく変動する。まるで水漏れするたるで水をくんでいるイメージだ。手立ては経費の圧縮だ。修繕は自分で行った。就農5年目に経営を父に譲られ、規模も拡大。前職では肩書や階級で評価されたが、農家にはそれがない。減反廃止を転機にニンジン栽培を始めたが、収穫期の労働力不足に直面した。あきらめかけていたが、農協から農福連携の話が来た。施設の皆さんの働きぶりに驚いた。元気にあいさつし、楽しそうにポコポコとニンジンを抜き、箱に詰めていく。疲弊していた妻に笑顔が戻った。初日から出荷最終日までフルに従事してもらっている。娘は3人。名前には皆「穂」が付く。稲穂の収穫の喜びを家族で祝うことと、「一生この仕事でやっていく」覚悟を含めた。

農業コミュニティが創る未来

才勝真紀(48)=東京都あきる野市、アルバイト

 あきる野市に「ヤマニ」という農業コミュニティーがある。発足3年。30代まで専業農家だった60代の清水氏夫妻と友人らが、使われなくなって20年ほどたつ畑を新しい仕組みでいかそうと立ち上げた。農家と消費者が力と知恵を出し合い「みんなで百姓になる」。作物、苦労、喜びも分かち合う。会員は50人を超え、乳幼児から80代までと幅広い。3分の1は都心から通う。農業経験者はほとんどいない。自然農法を取り入れた。それには清水氏自身の農薬の健康被害と土壌劣化の経験がある。家計収入を農業に頼るのは、自然災害などのリスクが高い。コミュニティー農業のメリットは助け合えることだ。みんなで一つの畑を管理し、子ども連れで参加したら、誰かが面倒をみる。会員が自分の得意分野を持ち寄る。収穫物を売るマルシェも始め、近隣農家や飲食店も出店した。ヤマニがきっかけで都心から五日市(あきる野市)へ移住する人も現れた。自分もその一人で、念願の田んぼも始めた。暮らしそのものを助け合っていくコミュニティーにもなりうる。

主人の脱サラから人生が変わる

林絹江(60)=富山県砺波市、農業

 商売屋の娘として生まれ、11歳年上の兼業農家の夫と結婚した。49歳で優雅な年金生活になる夢を描いていたが、三男が生まれた翌年、夫は突然、専業になると言い出す。「サラリーマンをやめたんだから、化学肥料、農薬をやめて作ったおいしいお米を食べさせて」という思いつきの言葉に、なんと夫が賛成した。近所からは、笑われ者の挑戦だったが、有機JAS認定を取得。地元の餅屋さんと共同で有機加工食品認定を取得し、富山県生協と有機栽培の餅の取引が始まった。長男が会社をやめて農業をやりたいと言い出し、3年後には次男も、みんなで農業をしたいと言った。家族経営協定を結んだ。2010年、富山県生協のバイヤーから、工場を建ててみないかと言われ、夫も子供たちも賛成した。6次産業化・地産地消法に基づく総合化事業計画を作成し、農園カフェ「農工房長者」をオープン。老後の楽しみに植えた桃のパフェが大ヒット。モチモチのコシヒカリ団子も売れる。夢は、海外輸出と、農業の魅力を息子たちや若い世代に伝えることだ。

「本当のいただきます」を届けたい

末澤未央(49)=岡山県津山市、農業

 「あなたの人生を保証する」。今までに2回、この言葉をかけられ、今の自分がいる。最初は半ば強引に勧誘された大学のワンダーフォーゲル部。自然の雄大さと人が生きるために要る最小限のことを知った。転職後、北海道の自然教育施設の運営に関わった経験が、野生動物や生物多様性への思いとして、就農の理念として生かされている。「退屈しない人生は保証するが、幸せかどうかは約束できない」。北海道で出会った写真家と結婚し、岡山へUターン帰郷して始めたのが和牛繁殖農家。生後7日目で来た子牛「さくら」は1年で病気になり、食肉処理場に送った。家畜はペットではないことを痛感した。霜降り肉を追い求める今の改良に疑問を持つ岡山県新見市の牛飼いを知り、戻し交配で守られた「蔓牛(つるうし)」を譲り受けた。「この牛は草の香りがしたよ」と精肉店。蔓牛の繁殖・肥育・精肉まで一緒に協働してくれる仲間を探し、6次化を進めている。納得いくまで育て上げた1頭の牛を人と分け合う。「ちゃんと届けるからね」と牛と約束する瞬間でもある。

 

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