第53回毎日農業記録賞《一般部門》最優秀賞


五百年耕された土だから

村田睦美(61)=埼玉県宮代町、自営業

2025年(第53回)の受賞作=村田睦美さん

 30年ほど前に、ある農家から頂いたナス。青リンゴのような爽やかな香りがし、とろりと口の中で溶けた。その農家の畑は、応仁の乱の頃には既に耕されていたという。畑の野菜たちがうれしそうに見えた。「おじさんが毎日毎日、ものすごく丁寧に耕しているものね」と母。今はおばさんが一人で育てている。夏には夕顔の実がたくさんなる。父の介護で苦しんでいた時、おばさんから苗をもらった。土を触り、実を毎日見ているうちに、心の中の黒い塊のようなものが溶けていくのが分かった。土にはそういう力がある。自給率が低いこの国で、合理的な生産方法や大規模農業も必要ないとは言わない。けれど改めて土の大切さを問いたい。大切に耕してきた先人たちの苦労の上に私たちは乗っているのだから。

悩める盟友へ「私はこんな農家です」

西川亮慈(32)=和歌山県橋本市、農業

 高校1年の時、てんかんを患っていることが分かった。就職活動で「普通の生活」がいかに難しいかを思い知った。「一緒に仕事せえへんか」。父が声をかけてくれた。代々農家の家系で有機農業。ノウハウはすべて父で、何を聞いても「これでええんや」。そんな日々に、近所の柿農家が農協の青年部に誘ってくれた。「亮慈くんのバアチャンは昔、有名な柿農家やった」。父が話してくれた。母の皮膚が弱く農薬にかぶれてしまうこと、柿は無農薬では栽培できず、妻を守るために柿をあきらめ、有機農業を選んだこと――。慣行農業と有機農業の違いを理解し、販売や農業経営、有機農業の技術を学んだ。自信もついた。「そろそろやと思ってたんや」。父は経営移譲を提案してくれた。農業が家族を一つにしてくれた。

大切な人の腹を満たす

糸賀麻衣子(45)=島根県出雲市、看護師

 「お父さんがお米作りをやめるって」。母からの電話は3年前だった。自分はフルタイムの看護師。3人の子にはおいしいものをたくさん食べさせてやりたい。父は77歳。一人で細々と数軒分の米を作っているが体の不調もある。夫に言った。「実家の米作りを手伝ってもらえない?」。長年事務職で、指はピアニストのように細い。そんな夫が二つ返事で「いいよ」と言った。泥に足を取られての水田の代かきは、父のようにはいかない。イロハを教わっていくうちに、父も楽しそうになっていった。毎年、コンバインで指を落とした患者を看(み)るので、家族全員けががなかったことに安堵(あんど)した。令和の米騒動の日々。文句一つ言わずに手伝ってくれる夫。我ながら、これ以上ない伴侶を得た。来年もやろうと言っている。

移住をして「無いなら作る!」小さな6次産業

黒川真太郎(62)=徳島県阿南市、農業・製造業

 東日本大震災で大きく変わった人生だ。家族4人で横浜で暮らしていたが、食料が不足する状況に「自分で作る」必要性を実感。「作れる場所」をと、親戚縁者もいない阿南市へ移住した。情報通信や食品販売、建築・造船業の経験があり、妻はパン焼きが趣味で交友関係も豊富。これらを強みに有機農業、販売、食品加工を3本柱にした。きれいな水の地元の米をブランド化し、自己流の土壌づくりで野菜を連作障害なく栽培。ネットによる全国販売は妻のママ友つながりから始めた。空き家を山小屋風に改装し、食品加工とパン屋を開業。校区に学童クラブを作り、震災の経験から太陽光発電蓄電池を備えた「防災子ども食堂」を開いた。何でも作れる環境を楽しんでいる。

 

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