第46回毎日農業記録賞《高校生部門》優秀賞・中央審査委員長賞


牛と歩む毎日

上村 実優さん=鹿児島県立市来農芸高校3年

 

 

 私の通う市来農芸高等学校では、学習の一環として黒牛、乳牛、黒豚、養鶏、ポニーの飼育管理を行っている。

 中学生の頃、家族で競走馬の番組を見た。番組の途中で父が弟と私に言った「お前たち二人で馬を育て、一人はジョッキーになればいいじゃないか」という言葉を真に受け、馬に関わる仕事を心からやってみたいと思うようになった。それから自分なりに馬に関することをいろいろ調べた。大学キャンパスにも足を運んだ。本物の馬を見て夢はどんどん膨らんだ。

 進路決定の時期になると動物の飼育管理ができる市来農芸高等学校を進路先に決めていた。進路指導の先生に「実習が多く、大変だけどいいの? 臭くて周囲から臭がられてしまうけどいいの?」とあまり受け入れてもらえるような雰囲気ではなかったことを記憶している。ここから夢への一歩を踏み出せると確信していた。私は「畜産部」という牛の飼育管理に従事できる部活動に惹かれた。すぐに畜産部の一員となった。

 入部その日から慣れない作業にてんてこまいだった。給餌、除糞、除角、鼻かん通し、去勢、保定、分娩介助、削蹄、草刈り、ロール運び、台風対策、競り準備、共進会。飼育管理には終わりがない。そのため牛舎の管理は休みがないが、疲れたとか今日は休みたいなあとは一度も思わないくらい、私は牛に夢中になっていった。

 初めの頃、女子だからと草切り、コンポ運びなどの力作業はさせてもらえなかったことが嫌で仕方なかった。

 私は牛が大好きだ。その牛のためならどの作業も努めたい。その想いが伝わったのか、先生はどの作業もさせてくれるようになっていた。牛舎にいれば牛と接する時間が増え、性格や特徴がわかった。一番好きなのは顧問の先生と部員同士で牛について語り合う時間である。牛好きな仲間と語るのは本当に楽しい。家族やクラスの友人と通じ合えないものが畜産部にはあるのだ。畜産部は、私にとって家族のような存在で一緒にいるだけで安心でき、何をしても楽しい。信頼し合える仲間との時間は不思議と何でも乗り越えられる。

 本校では牛の共進会にも力を入れている。平成29年度は黒牛の全国和牛能力共進会が開催される年だった。これまでも県内の共進会で数々の優秀な成績を収めてきたが、今年は「全国和牛能力共進会に出品する!」と目標を掲げ、全員で必死になった。先生の指導にも力が入る。県大会まで飼育管理、調教は常に緊張感が伴っていた。そして迎えた鹿児島県和牛能力共進会。本校の「すず号」は体積に富んでおり、高校生出品区の県内7校の高校代表牛と比べて群を抜いて優秀だと鹿児島県の代表となった。ただ、当時の「すず号」は、若干太り気味と評価され、全国大会までの改善点に挙げられた。

 出場が決まると私たちは「てっぺんを獲る!」を目標に掲げ、宮城県までの移動に耐える力強い足腰にするための引き運動や手入れを頑張った。引き運動で乱れたグランドは翌朝には綺麗に耕耘されていた。先生方の心遣いが伝わってきた。触診審査に備え、暑い中、すず号の余分な脂肪を落とすためマッサージを藁で行った。牛の血行を促すように全身で行うマッサージには10分おきの水分補給は欠かせないほど辛く、陰で「地獄の10分」と言っていた。指導員の方も度々来校され、すず号の仕上がりの確認や、情報提供、アドバイスをくださった。「すず号」と畜産部、指導員、地域の方、一丸となって夢の舞台である全国大会に挑んだ。

 全国大会では部門ごとに1時間の審査時間が設けられ集中力と忍耐力が牛と引き手に必要だった。1時間もの間、牛を一番いい状態で立たせるのは本当に至難の業だ。部員は引き手、補助者、発表者と役割が分担された。私には4分間で「すず号」と畜産部について、その他、飼育管理のスピーチを任された。最高のパフォーマンスができるように発声練習、発表の内容、練習に時間を注いだ。部員全員が役割を全うするために必死だった。

 時がきた。ストレスによる減量を心配しつつ「すず号」を送り出したが、宮城の地で再会した「すず号」は体型の崩れなどもなく、食欲もあった。最高の状態で大会に臨めると期待した。翌日私たち高校生の部が先陣を切り大会が始まった。この和牛能力共進会で「全国一」を目標にしている鹿児島県勢の気迫はすごかった。私たちもその一翼にと、持てる力の限り精一杯表現した。長く細かな審査の結果、「すず号」は優秀賞4席に選ばれた。自然と涙が出た。気が付くと部員みんな泣いていた。とても厳しく怖い存在の先生の目にもうっすら涙が見えた気がした。

 盆、正月もなく牛の世話をしてきたこと。真夏に「すず号」を囲み、シャンプー、毛刈り、きつい藁刷りを行ったこと。すず号と運動場を数え切れないくらい歩いたこと。先生から自分の弱さを見抜かれ、叱られたこと。仲間と食べたスイカの味。全てが蘇ってきた。この経験で真剣に取り組むことの大切さを知った。涙はてっぺんを獲れなかった悔しさと真剣に取り組んだことから味わえた達成感から流れたものだと感じた。

 鹿児島県勢全員、私たちを讃えてくれた。冷静になり今度は応援者側にまわった。会場内の熱気は本当にすごかった。気迫を肌で感じた。大会の結果、鹿児島県が「全国一」となり、最高の舞台で最高の成績を収めることができた。私たちの結果は納得のいくものではなかったが、「大会の起爆剤になった」と言葉をいただき、肩の荷が下りた。帰鹿すると、またいつもの毎日に戻った。全国大会は終わったものの、畜産部の行事は次々控えている。

 すぐに次の準備が始まった。南薩鹿児島日置地区ホルスタイン共進会だった。私はミルキッシュ・キャピタルゲイン・フロンティア・スピリッツ(以後キャピ)号のリードマンとしてキャピの良さである伸びやかな骨格を際立たせるために早朝登校し、朝と放課後の1日2回キャピの体を丁寧に洗った。引き方も黒牛とは違うため、戸惑いと不安があった。不安をなくすためにキャピとの練習を重ねた。飼養管理だけでなく、様々な競技への参加や地域、農家との交流もした。

 畜産部での1日は、どこをとっても充実し大切な「時間」となっている。

 私は次期主将となった。私は自分と同じように「楽しい」と思える畜産部にしたいと考えている。そのために部員を支えられるような存在になりたいと思う。

 中学生の頃はいじめられることもあった。本当に辛かった。口ばかりで信用を裏切ることもあった。思ったことをすぐ口にしてしまい、人を傷つけてしまうこともあった。そんな私が主将となり変われたのは、牛の存在があったからだ。しゃべらない牛の管理を通し、気持ちを読み取るようになっていた。そして周囲に気を配れるようになった。自分の気持ちも伝えられるようになった。同時に先生から挨拶の大切さと言葉遣いや話を聞く態度の大切さを教えていただいた。自分に自信が持てず、内気だった私だが、部活動の主将と平成30年度に開催される全国農業クラブ鹿児島県大会の各種発表大会の会長もさせてもらう。牛との2年間の努力が周囲への信頼に繋がることを学んだ。

 馬に憧れ、動物飼育管理のできる市来農芸高校に入学をしたが、今では牛の虜に。非農家の私にとって牛の管理すべてがはじめてでキラキラしている。3年目になる今もそれは変わらない。牛との毎日は、私にとって青春そのものなのだ。高校卒業後は北海道の大学に進学し、本格的に酪農を学びたいと考えている。高校生活の2年間、私の頭の中は牛のことが大半を占めてきた。今後もそうであろう。毎日の牛との関わりやキャピとの出会いから、将来、酪農家として日本の農業を支えたいと強く思っている。そして、いつの日かアメリカという大陸で、大規模な農家経営ができることを夢見ている。

 

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